「横浜南共済病院」に「出直し来院」で『偶然の遭遇』

「直近イジメ」にくじけると、なかなか「過去イジメ」の書きこみが進まない。

どこまでだったか。まあ、「過去と他人は変わらない」(ハリーの自作ことわざ)にあるように、「過去の事実は変わらない」ので、「あわてるこじ●は、もらいが少ない」で行こう。「こじ●」は、たぶん「ピー」と音がかぶるような放送禁止用語と思われるが、これは昔のことわざで、ハリーが子どもの頃聞いたところによると、「こじ●のなりをして、物乞いしているが、実は意外とリッチだったりして」の人たちが多いという。ホントか嘘か、定かでないが、ことわざ的には、「急がば、回れ」の方が、「侮蔑用語の心配なく」て、ベターかも。

まあ、「人を外見で判断してはいけない」ということかも。

————

で話を戻すと、「横浜南共済病院」の「再来院」で、「午前中いっぱい待たせられて、やはり、予想どおりの”問題なし”のイカサマ診断を受けた」

その待合室での「待ち」で、当時、2年ほど毎日曜日に通っていた教会のクリスチャンに偶然遭遇した。地場の教会なので、地場の病院で遭遇することは、さほど驚く事ではない。アットホームな教会で、敬虔で熱心なクリスチャンが多い印象を受けている。中年の男性で、そこそこ面識があり礼拝後の昼食会に、しょこっと話をしたことがある程度の繋がりだが、顔と名前は覚えていた。(だが、今は、すでに忘れた)。

たしが、内科でなく外科か何かで通院しているとかの「世間話」をした記憶があるが。

これだけでは、「特に、問題があることではない」が。その前後に、「伏線らしきものがある」場合は、見逃すことができないことに。

——————————————————————————

いつものように、これに似たシチュエーションを思い出してみよう。

これは、2000年4月のことであるが。

★2000年前半ごろ。同教会のクリスチャン(別の中年の男性)らしき男に、近所で、「かなりの頻度ですれ違う」という経験。

→ハリーは、大概、自転車に乗っているので、「ほんの一瞬見かける」程度だが、遭遇する場所は、「前マでンションの周辺でランダム(まちまち)な場所」で「時間もまちまち」

→さらに、「2回~3回程度でなく、5回以上」だったか。もっとか。

———–

★2001年か2002年ごろ。同教会の役員クラスの「中年の夫婦」が「偶然」に、品川の駅(始発)から、同じ電車に同乗し、「偶然」にも、「向かい側の席に腰かけた」。

→当時、同教会でなく、英語礼拝がある「別の教会」に通っていた。

☛なぜ、「変更したか、ちゃんとした理由がある」が、これについては、後日言及。

→例の「布能(偽名?)」が通訳している、教会だ。

☛この「偶然の遭遇」を「布能」に話すと、「異常なまで、このクリスチャンのことをかばった」

————————

ここで、「布能(ハリーは科学者と呼んでいる)について、若干、言及。

 

2000年5月に、「白山●教会」から「追●聖書教会の英語礼拝(現在はありません)」に「礼拝を変更」した。

理由は、色々ある。かなりハリーにとっては、重要なことを含んでいるが。(後日紹介)

 

まず、「交友関係」から説明しなければならない。

 

★「鈴木あゆ●」

→「1993年初めて教会を勧めた友達」当時は、「吉祥寺にある教会」だった。(当時、東京在住)

→赴任に伴う引っ越しで、「白山●教会」を紹介してもらう。

→オーストラリアにワーキングスティした経験あり、「英語塾の先生」

→英語力は、「会話程度」であるが、「敬虔なクリスチャン」

→結婚後に「岡山に引っ越し」するも、横浜に引っ越ししてきて、「偶然にも近所に住むことに」

 

★「布能」

→「白山●教会」に通っていたらしい(一度もあったことがない)が、「牧師が説教時に、息子を逆さずりにしてたこと」に夫が激怒し、近所の「追●聖書教会」に「転籍した」。(本人談)

→英語の元教員。アメリカに住んでいた経験もあり。「礼拝の英語を翻訳できる」ほどの英語力。

→だが、この「布能」とは「神様の話を真剣に一度もしたことがない」

☛「子どもをさかさずり?」。ここから、嘘くささが。

→つまり、「布能」は、「上の品川駅で偶然遭遇したクリスチャンの夫婦をしっている」

→つまり、この夫婦が集う教会の牧師に「嫌悪感」を感じている。

 

—————————————————-

ここで、話を戻すと、

「追●聖書教会」の英語礼拝後だったかの「お茶のタイム」で「その偶然を話したら」、「布能の反応」が「異常だった」

 

—–

こんな風だ。

ハリー:「この間、偶然に品川駅始発の電車に乗ったら、白山●教会の×××夫婦が、偶然前の席に座ったのよね。こんな偶然あるのかしら。」

 

布能:「なにいってんの。あの×××夫婦が、そんなことするはずないじゃないの。立派な人たちなのに。」(少々怒り気味に)

——

なぜ、布能に「ここまで、過剰な反応をされなければならないのか!」

あたかも、ハリーが「この夫婦をなじったかのように」。逆に、「なぜ、布能に、ここまで、怒り気味に言われなければならないのか」

**************************************************

「明らかに、過剰な反応」である。

さらに言えば、この「布能」という女の特徴なのだが、「たまに、上から話すことがある」。そして、「明らかな嘘を何度もつかれたことも」

 

ハッキリ言って、「鈴木あゆ●ちゃんとは、精神的につながっていたが、布能とは、表面的だった」

布能は、「どこか、冷めていて、人をテストしているところがあった」

 

今思えば、「完全なるレクターの手先」であった。

****************************************************************************

「布能」は、「白山●教会の牧師」に対しては、「嫌悪感をもっていた」と話、それとは真逆に、「その教会のクリスチャン夫婦」に関しては、「異常なほどにかばう」という行動をとったといえよう。

********************************************************************

 

これとは対照的に、「鈴木あゆ●ちゃん」が「結婚にいたるいきさつを話す」と、「あゆ●ちゃんVS布能」の違いが「明確になる」

 

「あゆ●ちゃんは、敬虔なクリスチャン」

「布能は、科学者」

 

とハリーがあだ名する理由は、そこにあるのだが。

 

 

「あゆ●ちゃん」の「結婚式の話」は、次回へ。

 

 

つづく)