今日も暑い。
「目には目を」「歯には歯を」「スパイには逆スパイを」
この聖書部分は、誤解されやすいといわれる。「目には目を」「歯には歯を」は、「反撃せよ。復讐せよ。」という意味では本来なく、「他人の目を殺めたら、自分の目で償え」「他人の歯を殺めたら自分の歯で償え」という「量刑の話」らしい。
旧約聖書では、「罪の償いを血で贖った(あがなう)」
「罪を犯すと、私は罪びとです、と町をねり歩き、最後は、自分が大切にしている家畜(羊やヤギなど)をほふって(殺して)その血で、罪を償った」
本来であれば、「自分の血で償うのであるが、その代りに動物の血が、その代りとなった」
キリストは、「無実なのにもかかわらず、十字架を背をわされ、町をねり歩き、最後に、十字架で処刑されて血を流した」
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つまり、「原罪説」を唱えるキリスト教は「罪の意識を強く意識し、それを償う」という考えが強い。
日本人の「水に流す。」とか「時がたてば・・・」とか「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」とか。
考え方が根本的に違うか!?
で、今日も暑い!
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「目には目を」とは
×「自分の目を攻撃されたら、相手の目を攻撃しろ」
◯「相手の目を潰してしまったら、自分の目を同様に潰せ」
が正解! もちろん、聖書解釈はいろいろあるだろうが。
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さらに、「目には目を」とは
×「目には歯を」
◯「目には目を」
これは「量刑の問題」でもある。
たとえば、
×「人の足を踏んでしまったら、自分の足を切断してしまう」 ☛「足を踏む<足を切る」
×「人を殺してしまったら、自分のほっぺたを殴る」 ☛「殺人>殴る」
これは、「罪≠罰」なので、「これは不平等な量刑となってしまう」
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聖書解釈はむずかしいが、クリスチャンのハリーとすれば、「罪を犯して、罪の意識も感ぜず、ぬけぬけと罪を続ける」くらいに「ハラワタの煮えくりたつことはない」
この「ふてぶてしい江頭の逆スパイは、続いている」
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「江頭のせい」で、ここ数日体調不良。
朝から、「すごい尿になっている」。つまり「腎臓が悪化」。「体重も地道に減少している」
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まず、今朝の「江頭観察日記」から。
★7/12(木)
●5:00
→白&ピンクあり
●6:35
→白&ピンクあり
●7:09
→白&ピンクなし
玄関に出る機会を多く持つようになった。つまり、玄関側の廊下に収納してあるほうきをちょくちょく使う。おかげで、「江頭チェック&掃除」がセットになって、ベランダと玄関周りがきれいになってきた。
これは余談だが。
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この「玄関先の自転車から、6:35~7:09の間に、江頭夫婦は、外出」と思いきや、「そうとばかりも言えない」
これは、「二つの実例」と「ハリーの犯罪心理」から言える。
では、その説明を。
つづく)